脳梗塞その後 V

8月X日
携帯の呼び出しに目が覚めた
「まだ寝てるんかい、いつまでも寝ていると眼がくさっちまうぞ」
相棒からの電話だ 「今1%の畑に居るんだけどよ、スイカがいくつか腐っているよ」
「そいじゃあ直ぐいくよ」   すでに医者の許可をもらって車に乗り出したので愛用の
トラックに乗り込んだ、あいにくと家の軽トラックはマニュアルなのでクラッチを戻すときが
ガクンとでるときがある、左足がまだいうこときかないので、半クラッチが使えないからだ
分かっているのだが、慣れるしかないと自分にいい聞かせてリハビリ感覚で乗っている
俺は、病人なんだからゆっくり寝かせてよ  何いってるのいつまでも病人ぶっていると
もっと悪くなるよ、リハビリのつもりでやればいいから・・・・
スイカも4キロくらいのスイカができている
「そろそろ収穫時期だね、明日にでも役員で収穫日時を決めるか」   もちろんまだ
3時間くらいしか動かないようにしているので、仲間もその点は理解してくれているようだ
口は愛かwらずしゃべるのに歯がゆい、以前整形の先生に口のリハビリをお願いしたら
それはやらなくても慣れるしかないということで断られてしまった
なので未だ長くおしゃべりをするときは、もどかしくてしょうがない。



8月××日
あれから1週間だいぶスイカの腐りが出てきた、やはりもう少し早くとるべきだったか
とはいうものの、たくさんの人を集めるには時間がかかるし、いくつかの作業をいっぺんに
おわす計画だから多少の犠牲はやむを得ないことにした。
50名くらい集まってくれた、スイカの収穫も思いの外あった、それは全部が4きろの揃って
いるというわけにはいかないが、仕方がないよねという役員の暗黙の了解だった
前もっていくつかに作業分担を決めておいた、なかなか思うように分かれてくれない
ほんの1〜2時間でも同じ仲間は離れたがらない仲間も、しょうがないよんねで納得する
まだものを考える力は残っていたようだ
このごろは気温もだいぶ上がってきた、子供たちからあまり無理しちゃあだめだよという 
黄色カードがでている。






9月××日
血圧131  低84   脈191
薬は 朝はプレタール1錠 パリエッと錠 1錠 くれストール錠1錠
    夜はプレタール1錠を飲んでいる
血液をさらさらにする薬といわれているので怪我は気をつけている
血液が止まらなくなるらしい、 他の病気で医者に行き注射するときはその旨話すと
看護婦さんが真剣になるような気がする
後気をつけていることは、塩分だけは気をつけて食べている、病院食まではいかないまでも
大好きな漬け物はほとんど食べていない
みそ汁は半分だけ入れて後はお湯を注いで飲んでいる












朝の散歩は2時間くらいしていたが病後は1時間歩くと疲れて足が重くなる
そのためだんだんしなくなり今は畑で歩いたりこごんで畑仕事をしたりしてリハビリのつもりで
きている、それでも草はまってくれません
汗をかいては水を飲み1じかんに1回は飲むようにしている
畑の仕事をみんなでやるときに言葉がしゃべれなくなるときがあるそういえば
つばを飲むときタイミング悪くして飲むと咳がむせて苦しくなる肺に間違って入ったらたぶん
呼吸困難になってしまうかもしれない、心配事はつきない
もう人前でしゃべることは困難かもしれない、それはしゃべりながら次の言葉が出てこないからだ

まだこのごろは疲れが残り考えることもマイナス思考になっているこれはリーダーの資格は
失われたと自分で感じてきた



10月××日
竹細工の会合があった、月に2回教室が開かれていた
残念ながら一日おなじことをやっていると体がついて行かないのでいつも予定だけ話して
帰ってきていた
さすがに半年もすると新しく入った人からも遅れて事務局の看板は下ろしたくなった
ただ集会所を貸している関係で誰か一人ついていなければなりません
地区の人はほとんどやめてしまった、さらにはもう一つの趣味きりえが進まないことだ
10月には合同展がある
11月には県美術展が控えているさらに今年は、サークルの会員が出品するので
同じように出品してやらないと申し訳ないということもあり悩んだ
落とすのh竹細工、その代わり黒子に徹しようと・・・・・
幸い県展は二人とも入選したしかも、どういう訳か賞候補とかに選ばれたとか、耳を疑ったが
どうやら確からしい、


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