脳梗塞その後

 退院して1週間、どういうわけだか夜眠れない、入院していたときも眠ろうとすると
首の周りとか肩がいらいらするようにけだるくなってくる
ベットを立ち上げてみたり足を上げてみたりいろいろ試したが眠気がこない
いつもだと愛用の煎餅布団に左肩を下に横になればものの2分くらいで眠気が来るのに
神経がさえて眠れない。
昼間はごろごろ横になってテレビ鑑賞の毎日でした、そうするうちにいつの間にか体が
いたくなってきたまさに運動不足と、リハビリがうまくいかないからその苛立ちがあったの
かもしれません。
これは、自分がうつ病になってしまうかもしれない、そう感じたので翌日他の病院へ行く
日赤病院の予約日までには日数があるので、別の病院を訪ねたのである、
 日赤病院とかは、全国から患者が来るのである程度回復した患者は紹介状を書いて他の病院へ
紹介して観てもらうようになっていると言う話だ、だから、かかりたくても担任の先生は
外来に出るのは、1週間に1日でその先生に診てもらう予約日にはまだ数日ある
 整形科かへ行く、そこデ診察してからリハビリへ行くことになっているから、
肩が痛いと言うことで診察してもらった、結果は首の骨が圧迫されているからそれが神経を刺激して
眠れないのだと診断した、1週間眠れる薬を出しますから
その晩からようやく眠れるようになった、
 予約日がきた
入院以来内科の先生に診察してもらった、退院の時と同じように先生の腕を跳ね除けて左足を
持その晩からち上げて口で パ カ ラ パカラといってみて不自ながらもいえるようになった
 『後は紹介状が出ますから他の病院で診察してください
病状は相変わらずパソコンに向かうと左手の指が離れない〃文字をいくつも打っている
初めて睡眠薬なるものを出してもらった、整形科でもらったくすりを飲んでいたが、
脳梗塞の後遺症はそれほど出ていないから、リハビリは必要ありません
左手の痺れや左足の重いのは電気やリハビリでは直せません、
そういう痺れは後遺症からのものですからそれに慣れるしかありません。
自分で治すしかないそう腹をくくった
 それじゃあ散歩から始めよう、その後所徐々に耕運機や管理機やトラクターになれればいい
と足が突っ張ってもリハビリのつもりで耕運機を転がした、
はじめは足がおぼつかなかった
ついて歩くのが背一杯でした  がそれもなれた、言葉はまだ違和感がある
口の中で言葉がもぐっているようだ、うまく話せない、ある晩テレビで好きな歌が流れた、
調子を合わせて歌ってみた、なんと声が続かない、音程が狂っている、自慢のカラオケもこんな調子だと
よほどリハビリしないとそう思った。
次の日、畑が草だらけでした、畑の仲間にきてもらい草をトラクターで耕してもらった
観ていてじれったくなるがどうあがいても出来ないから それよりはやくリハビリをして運転できる
ようになればいいだろう
 又一段とリハビリに励みました風呂場もリハビリができるものはないかとあれこれ工夫した
散歩のときは、左手にテニスボールを握っていた。
今日6月30日は、トラクターを運転して畑へ行く、約1反ぎこちない運転でトラクターをかけた
車は3ヶ月間 ドクターストップがかかっている。
現在畑仕事、パソコン、きり絵、その他よろずやてきなことをやっています。
気をつけていることがある
一つは無理をしないで仕事は半日で上がるようにした
1時間おきに水分補給をするようにした




     脳梗塞そのU


7月1日
脳梗塞から1ヶ月以上経った
まだ車は乗れないが、トラクターは運転している
管理機や耕運機と一物も使用している
風呂の中で両手でピアノを弾く練習みたいにリハビリしている
そのため前よりはキーボードが楽に打てるようになった
このままリハビリ件作業を続けて8月には草津、芳が平へハイキングに以降と計画を立っています
只この病気は血液が一番影響するので、塩分のあるも葉極力控えたほうがいいと思います
病気になる前は、沢庵や漬物が大好きで、それさえあれば他のおかずはいらない それくらい
漬物大好き人間でした
今は血圧120くらいを行ったりきたりしています
只この病気の発見は家族でないと分からない、とかく自分で判断を下して手遅れになる人がおおい
と聞きます
それは疲れだろうと自分で勝手に判断してしまうかrだと思います
テレビによると4時間半以内なら必ず元に戻ると言うことを放送していました
〃病気で苦しんでいる方がいたら是非これらのことを参考にしていただけたらと言う思いで



7月7日
風呂の中での指のリハビリ片足立ちパカラと言う言葉の繰り返し散歩、パソコンのキーボードの
文章打ち、草刈機の扱い、寄るトイレのたびに水を2口飲む、塩分だけは気をつけています


7月10日
これまでは女房に車の運転をしてもらっていたが、今日は、内科の先生の診断があるので
先生に車の運転をしていいか聞いてみた
何とか田んぼと家の往復だけでも車を運転したいということで頼んでみた
そういうと先生も病気の治り具合や特定の検査で近場だけならいいと言う許可をもらった
そんなわけで今はトラック乗用車と使い分けながら運転している
最初はトラックでマニュアルなのでやはり左足の感覚に違和感が残る、何度か車止めに乗り上げたが
今では何とかじょうようしゃも普通に乗りこなしている、自動車に乗れると言うことがこんなに
素晴らしいことだとは思わなかった、出来ることなら早く高速に乗って日本中を走ってみたい



7月27日
恐る恐るなたを使って竹を割ってみた
孫が来ているので昔の遊び道具を作ろうと張り切っていました、水鉄砲は切り出しナイフで何とか
出来たが、まだ納得のいく出来ではない竹の節を削るとき手が滑ってヒヤッとした事があったが
切らずに済んだ、血が止まらなくなると言うことをいわれていたので、もう一つは
竹とんぼだ、青竹なので細工はしやすいが、出来上がる頃には乾いてやせ細りそうな気がする
只昼近くになるとこのごろ昼寝が日課となっているので、目がしょぼしょぼしてくる
こんなに一生懸命作っても孫はホンのすこし興味を示すだけですぐに飽きてしまった
それほど伊井で気ではないので仕方がないかと自分を慰めた



7月28日
又今日も雨が降ってきた、ナーンもやることが無い、孫がこれまた暇をもてあましている
遊んでやりたいが、男の子の遊びが分からない、飽きるとDVDのアンパンマンを掛けてやる
これで30分くらい夢中になってみている、飽きずに〃ビデオを何度も何度も、このごろでは
自分で機械を操作して勝手に再生をしている、タブレットも同じく掛けておくと
勝手に画面を先送りしてみている
私はと言うとキーボードの操作にようやくなれて左手が何とか打てるようになった

ここまでは順調に回復しているほうだと思うしかしながらまだ未確認のものがあった
それは朝のことだ、女房がちゃーはんをの材料をきざんだから手分けして作ることになった
いつもやってたことなのでいつも通り中華なべを持った
油を敷き卵を入れてご飯を入れた鍋が温まってきたところでご飯を返そうと鍋を持ち上げ返そうとしたが
ご飯がくるくるかえらない、
そのうち手がしびれてきた、やばいまだこれはリハビリしていなかったと思った
口のほうも少しの時間なら何とかしゃべれているらしい、散歩も1時間くらいなら歩けるようになった
田んぼも昼までを目当てにリハビリのつもりで行って作業をしている
水は1時間おきくらいに飲んでいる、塩分はこのごろすこし濃い目になった気がするがこの暑さでは
多少はとってもいいと言う許可の下に食べ始めている、只血圧が120をすこし上回ってきている

続く

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